不登校、引きこもり、反抗期の専門家
親子癒しセラピー™
開発者の志音です。
今日も、ブログを読んでいただき
ありがとうございますm(_ _)m
よく皆さんから
「志音さんだからできたんですよね」
と言われるんですが・・・
そんなことなくって
失敗と挫折を繰り返して
何度も何度も
「あ~わたしってなんてダメなんだろう(T_T)」
て思いながらここまで来たんです。
だからね、そんなこんなの
ダメダメだった過去を公開することで
「誰でもいつからでも変われるんだ!」
「わたしも我が子も変われるんだ!」
希望を持ってもらえるかもしれない。
と思ったので、過去のいろいろを書こうと思います。
長いので、気になるところだけ
読んでくださったらと思います。
◆偽りの自分を形成してしまった幼少期
◆暗黒の中学時代
◆親の期待に背けなかった高校時代
◆挫折だらけの短大時代
◆何も出来ないわたしから成長できた仕事
◆モラハラとサレ妻だった夫婦関係
◆メンタルを崩してしまった家族のこと
こちらをご覧いただけますか?
恥ずかしい!けど、でも
「人って変われるんだ!」
てことが、分かっていただけるかと思うんです。
ちなみに、整形とかしてません!
32歳のわたしの写真は
母の還暦祝いを写真屋さんで撮影した家族写真です。
笑っている「つもり」です。
笑えていないですよね・・・
この頃のわたしは
ワンオペ育児とモラハラに悩み
心を失っていました。
運転しながら、このまま・・・
なんてふとよぎったり(>_<)
不登校期間中には
休日起き上がれなかったことや
1人になると涙が溢れ出てくることも
外では明るく元気を装っていたので
人知れずひっそり闇の中にいました。
「親子癒しセラピー™」では
長男の壮絶な反抗期
次男の2年9ヶ月の不登校
それらを解決してきた方法を
お伝えしていますが
実は、それ以外にも
夫婦関係、仕事、家族の病気など
様々な苦悩があったのを
どうにかこうにか切り抜けてきて
最大の難関が不登校反抗期!
だったんです^^;
最後の最強の難題のおかげで
ようやく平穏な毎日になりました(*^_^*)
◆偽りの自分を形成してしまった幼少期
1978年3月横浜生まれ
両親は教員で、小1から鍵っ子の長女のため
しっかり者のお姉ちゃんとして子ども時代を過ごしました。
でも、学年でいちばん誕生日が遅いので
何をするのもペースが遅いグズ子で
親にも学校の先生にもグズと言われていました^^;
長女的気質で、一生懸命に
しっかり者をやってたんだと思います。
女の子同士のイザコザも小6で経験しました。
身長が高くて目立つから
学級委員、ミニバスのキャプテンも任され
なのに、悪口の標的になって無視される。
人間関係をつくるのが上手くなかったんです。
無視されてた期間は遊ぶ友だちがいなくなり
小説を読むことに没頭していました。
◆暗黒の中学時代
バスケ部に入り、部活命!でした。
中1は、クラスの女子グループにうまく入れて
楽しく過ごせましたが
中2のクラスが、今で言う
カースト上位女子がたくさんいて
そこに入れず、他の子とも仲良くなれず
完全に孤立しました。
勝手に疎外感を感じてしまって
どの女子グループからも
自分から離れていってしまいました。
孤立すると、おもしろがってからかってくる男子とかいて
今だったら、いじめで問題になるような
からかいを受けたこともありました。
移動教室も1人で移動、お弁当も1人で食べていました。
耐えきれず、お弁当の時間に校舎裏にいたら
先生に見つかって保健室に連れて行かれ
そこで始めて、担任に話し、両親にも話がいきました。
バスケが大好き、部活が大好きだったから
そんな状態でも、学校には行き続けていたんです。
だから、周囲は全然、気づいていなかったんです。
ちなみに、バスケがうまかったか?
と言うと、そうでなく^^;
交代で試合に出れるような6番手でした。
小学校までは身長高いだけで有利で
ちやほやされてたんですが
中高のバスケでは、通用しない。
それはいいんだけど、なぜか?
わたしと関係ないところでミスあっても
怒られるのは、わたしなんですよ~(>_<)
え?なんで?わたし怒られるの?
理不尽なことだらけの中高の部活でした。
今なら、分かります!なぜ、怒られていたのか・・・
自分に自信がなくて、オドオドしてたんだろうなぁ
中3でもクラスに仲良い子ってできなくて
中学時代は、良い思い出がありません。
◆親の期待に背けなかった高校時代
高校で心機一転リスタートしたくって
学区外を受験希望しました。
でも、両親に反対されて、泣く泣く学区内の高校へ。
両親は、勉強ができていたわたしに期待していました。
でも、孤立した中2から、疲労がひどくて塾をやめ
成績も落ちいっていたので
親はトップ校に行って欲しがっていたけど
2番目の学校になりました。
高校時代は、それなりに楽しく過ごしたけど
本当に心を許せるような深い友人関係は
作れずにいました。
自分の中で、いつもどこかに壁があって
それはきっと相手も感じていたと思います。
ちなみに、勉強は、ま~ったくしませんでした!
高1最初の数学がすでに分からなくて赤点。
授業中は寝てる、保健室に仮病で行って寝る。
そんな我が子でも、親は、国公立大目指して欲しく
選択授業でたくさん選択して、あげく授業をサボる(T_T)
卒業判定会議にかけられ、卒業できないところでした。
両親は、高圧的なわけでも、命令するわけでもないけど
親に期待されていることは分かっていて
そこに背くことができなかったんです。
優等生なわたしのままでいなきゃ!
て思ってたけど、さすがに、成績悪くて
高3になって、娘の状態に、親が気づいたようで
そこからは、良い大学へ。というのは無くなりました。
◆挫折だらけの短大時代
スポーツ選手のケアをするトレーナーになりたく
体育大を受験しました。
が、入試に実技が必要なんです。
運動神経良くないので、どんなに練習しても
実技試験の合格基準に届かない!
出来ないまま入試を受け
筆記満点なのに不合格(>_<)
生まれ持った運動能力という
どうにもならないことがあると知りました。
入学してからも、単位取るのに実技があって大変で(>_<)
周りはとにかく運動神経良い人ばかり
全国レベルの人がゴロゴロいる
自信満々な人達の集まりな場所で
とにかくみんなキャラクターが明るいんです!
わたしはここでもまた
勝手に引け目を感じちゃって
入っていけなくて・・・
挫折だらけ、自信も失い、夢が打ち砕かれました。
スポーツ業界で仕事するのは無理だ・・・
諦めました。
◆何も出来ないわたしから成長できた仕事
人の身体をケアすることはしたかったので
鍼灸の専門学校を受験したけど落ちました。
就活したくなくて
カイロプラクティックの学校へ。
ここから、身体のケアを本格的に学び始め
アロマなどの自然療法に興味を持ちました。
フットケアサロン、フェイシャルエステ、化粧品販売
アロマセラピストなどを転々としながら
知識と技術を身につけました。
ひょんなことから
キッズスイミングを教えるパートを始め
そこから10年間スイミングのお仕事をしました。
ベビークラスから中学生まで
たくさんの親子に関わらせていただきました。
始めは、ずっとサブコーチのつもりでした。
わたしに、スポーツ業界の仕事できるはずない!
そう思っていたから。
それが、たまたま、子育て経験が活きる場所で
幼児さんの扱いが上手いって褒められて
小学生への接し方も良いって言われて
褒められてめちゃくちゃ嬉しかったです(*^_^*)
自信が無くて「わたしは何も出来ない」
って思っていたところから
仕事を通じて成長させてもらいました。
メインコーチになりクラスを持ち
全泳法教えることができるようになり
大人数のクラスも任されるまでになりました。
10人の幼児さんを前に話すにも
声が震えていたわたしですが
200人の小中学生を前に
話すことができるようになりました。
もちろん、うまくできなくて泣いたこともあります。
でも、教えてくれた方々のおかげでできるようになり
この職場には、本当に感謝しています。
この職場のおかげで
自己肯定感を回復させることができ
「わたしにもできるんだ」
そう思えるようになりました。
そこから、大人のフィットネスレッスンもするようになり
フリーランスになり、今に繋がっています。
ちなみに、離婚に向けて仕事を始めたものの
収入の面ではまったくダメダメで・・・
離婚当初は仕事3つ掛け持ちして
それでも生活がギリギリでした(>_<)
月1~2の休みでどうにか頑張って
生活を維持している状態でした~!
◆モラハラとサレ妻だった夫婦関係
実は「わたしは何もできない」て
表面上は思ってないというか
「できる」「やれる」
て思うようにしていたんだけど
潜在意識の中に「できない」が
うめこまれていたんです。
元夫に何回も言われていたんです。
「お前は何もできない」
「社会に出ても何もできないだろ」
「家事もできていないしな」
マイナスの埋め込みになっていました。
元夫とは、完全に上下関係でした。
そのことにも、わたしは気づいていなく
結婚したら、どんどん上下関係は酷くなりました。
ワンオペで育児していると
だんだん母として強くなるんですよね。
それまでは、自信なさげで
従わせることができていたのに
わたしが意見を言うことが増えていき
それを反発されたと感じるようで
始めは理詰めで問い詰められ
だんだんと大声で怒鳴られたり
胸ぐら捕まれたり
1回だけだけど叩かれたこともあり
けっこう辛い日々でした。
海外出張に行くことが多かったんですが
帰国時もワンオペで、喧嘩ばかり。
いろいろ辛くて
海外で浮気でもしてくれたらいいのに。
その罪悪感で、少しでも帰国時に穏やかになればいいのに。
て、思っていたくらい。
そしたら、浮気してました(T_T)
罪悪感無かったみたいです。
浮気していたことがショックじゃなくて
わたしたち捨てられたら生活が・・・
ということが心配になって
そこから、本気で離婚を考えるようになり
自立できるように仕事をちゃんとしよう!
動き始めました。
離婚の話し合いは5年ほどかかり大変でしたが
今では、対等な立場で
話し合うことができるようになりました。
わたしの自己肯定感が上がったこと
コミュニケーションの取り方が変わったこと
元夫も成長したことなどがあると思います。
わたしが自信なさずぎて
自ら下に入ってしまっていたことも
モラハラを加速させていたんだな。
と、今になると分かります。
当時は、わたしは何も悪くない!
そう思っていましたが
わたしにも改善できる点はあったんだと
今では思えます。
◆メンタルを崩してしまった家族のこと
実は、家族の心の病で大変だったことがあります。
妹も、夫婦関係で大変なことがあり
トラウマからパニック障害になりました。
そして、産後、子どもを連れて来ていた時
今思い返せば、産後鬱の状態だった。
もう20年近く、心療内科のお世話になっています。
あるとき、睡眠薬を飲み過ぎて
意識がボーッとしていると連絡が来て。
車で急いで家に向かったことも。
そのまま車に乗せて、実家に連れて帰りました。
薬の量を増やしても眠れない。
など、相談してきてくれるようになり
アロマなどの自然療法を教えてサポートしています。
今では、パニック発作が起きなくなり
電車に乗れるようになったりしています(*^_^*)
そして、わたしの両親は離婚しているのですが
再婚した父が家出した時があります。
次男が不登校2年目で
わたしも余裕なかったときでした。
それまで全然連絡なかった父から
電話が来るようになり話していると
話の内容がおかしいんです・・・
なんなんだろうなぁ?と思っていたら
家出したと連絡が来て、探しに行って見つけて
うちに引き取りました。
アルコール依存ぽくなっていて
心療内科でもらった薬が合わなかったみたいで
幻聴、幻覚、妄想などがあったようで
それで、電話の内容がおかしかったんです。
うちに引き取って2日目に
うちのベランダ13階から飛び降りようとして!
引きずり下ろして車に乗せて
入院できる心療内科に連れて行きました。
この病院がとても良い病院で
3ヶ月入院して、その後通院して時間はかかりましたが
今では、すっかり元気を取り戻して
薬飲まずに生活できるようになり
日本中を旧友に会うために回っています。
入院中に何回も面会に行きましたが
見た光景がかなり衝撃的で
一生忘れられないと思います。
ちなみに、不登校中の次男は
この飛び降り未遂を全部見ていました。
どう感じたのか?聞いたことはないし
もしかしたら、忘れているかもですが
いつか、聞いてみたいと思っています。
けっこうハードモードなこれまでだったんですが^^;
これらを経験したからこそ今のわたしがあって
「女性が本来の輝きを取り戻す」
そのサポートをしたい!
もうそれは使命なんじゃないか?
と思っています。
誰もがみな、本来は
カラダもココロも軽く
自由に生きることが出来ます。
本来持っているチカラを引き出して
それぞれの魅力を輝かせるサポートを
していきたいなと思っています♪
だからね、親子癒しセラピー™は
子どもの問題解決がゴールじゃなくて
ママが幸せ=子どもも幸せ
人生すべてが上手くいく
方法を身につけることを
目的にしています☆
ママとお子さんの笑顔と幸せを
応援しています☆